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科学とニセ科学について書くブログ

皇位継承問題にY染色体を絡めるブログ『やさしいバイオテクノロジー』

やさしいバイオテクノロジーというブログがある。私は前に何度か読んだことがあって、ニセ科学批判、とりわけ「酵素栄養学」批判は勉強になった。「天然信仰」についての記事でも共感する部分はある。しかしながら、久しぶりに覗いてみたら違和感を禁じ得ない古いエントリーを見つけてしまった。それは日本の皇位継承問題についてのエントリーだった。

 天皇家の存続が心配されています。2006年9月、秋篠宮ご誕生以来41年ぶりに秋篠宮家に男児が誕生しましたが、それでも皇統が細いのは確かです。
(中略)

 議論になったのは2点で、女帝と女系です。

 女帝にかんしては過去に推古天皇持統天皇などの例があり、多くの世論調査等でも異論がないため、問題なくクリアされるでしょう。
問題は女系です。
過去に女帝は10代6方いたが、いずれも男系の女性天皇であり、神武天皇以来男系は維持されています。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


私は個人的には天皇家の存続について特に心配しているわけではないが、ここでは同時に天皇制を支持する人がその立場から意見を述べること自体に反対するつもりはない。私が問題にしたいのはこの後の科学に関連する記述だ。以下、強調は引用者による。

この男系を、遺伝子の立場から見てみるとよく理解できます。

 男系というのはY染色体の継承のことです。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


なんだか急に香ばしくなってきた。男系天皇を正当化するための理屈としてY染色体を持ち出した人物といえば、高崎経済大学八木秀次 教授*1だ。八木氏がオリジナルなのかは知らないが、私がこの説を知ったのは八木氏の言説からだった。八木氏は自然科学の専門家ではないし、明らかに政治的にバイアスがかかっている(としか私には思えない)人物なので、こういうオカシなことを言われても、「おいおい、またこんなこと言ってるよ」程度にしか思っていなかった。しかしながら、このブログの著者は、広島大学の教員*2で『やさしいバイオテクノロジー』という本*3まで書いている生物学の専門家だ。正直言って目を疑った。確かに筑波大学名誉教授の村上和雄*4のようにバイオの専門家でも、おかしな方向に言ってしまう人はいた。でも、このブログの著者は他方ではニセ科学批判を行っているわけで、よりにもよってどうしてこんな方向に。どうしてこうなった。
ともかく内容を詳しく見てみよう。

 このことから、今上陛下が神武天皇以来の男系を維持した状態でその皇統が継承されているという神話が真実であれば、今上陛下や皇太子、秋篠宮のY染色体神武天皇Y染色体を2666年間受け継いでいることになります。
今上陛下は125代です。
皇統の途中に女帝を認めても、女性にはY染色体がないことから、神武天皇Y染色体は現在にいたるまで維持されています。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


「神話が真実であれば」とあるが、真実である可能性は極めて低い。初代天皇とされる神武天皇日本書紀によると127歳で死亡したことになっている。第11代垂仁天皇は140歳で死亡したことになっている。つまり、初期の天皇に関する記録は飽くまで伝説であって史実として扱えるものではない。系図も含めて不正確であると考えるべきだろう。正確な記録が残っていない神話の時代にY染色体が途切れていても不思議はない。

もちろん、2666年間でないにしても、系図がはっきりしているある時期から長きにわたって男系の血統が続いていたことは事実だろう。そうだとすれば天皇家の男子は先祖代々ある一つのタイプのY染色体を持っていることになる。

 これが「天皇」です。

 女帝と神武天皇Y染色体を持たない男性との間に生まれた男児は、その男性のY染色体を持つことになるため、もしその男児が即位すると女系の天皇が誕生することになり、2600年以上続いてきた男系は断絶します。
すなわち、女系の天皇は、もはや「天皇」ではありません。

 現行の皇室典範の改定では、いわゆる「女系天皇」が焦点になっています。
「有識者会議」の報告書通りに皇室典範が改定されれば、新しいY染色体を持った「天皇もどき」が誕生することになります。
つまり、上に述べたように、2666年間続いてきた天皇家の男系歴史に終止符が打たれ、日本史上はじめて王朝が交代することになります。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


ここから完全についていけない。"天皇家は大昔から脈々とY染色体を受け継いできた"という事実が"そのY染色体を持っていないものは天皇に非ず"という政治的主張に突然置き換わっている*5

考えてみて欲しい。Y染色体と天皇家を最初に結びつけたのが誰かは知らないが、天皇家の歴史からしてみれば、ごく最近のことだろう。その時点までは、Y染色体とは関係なく男系継承の天皇制は一定の人々から支持され脈々と続いてきた。どうして今さら、Y染色体を持ち出すのか。いかなる根拠で持ち出すのか。今の皇室典範には、「古来からの由緒正しきY染色体を持たないものは皇位を継承できない。」とでも書いてあるのか。

私は、男系継承の伝統を維持すべきという主張は一つの意見としてありだと思うが、どうしてそこでY染色体を引き合いに出す必要があるのかさっぱり分からなかった。だが、以下の立花隆氏に対する批判の中にその答えが書かれていた。

 神武天皇Y染色体を持つ男性はたくさんいて、「皇族、あるいは旧皇族だけが、神武天皇Y染色体をつたえているなどということはないのである」(同書157ページ)

 誰がそんなことを言っているのでしょうか?立花氏だけ?

 神武天皇Y染色体を持つことは天皇になるための単なる必要条件です。
十分条件ではありません。
神武天皇Y染色体さえ持っていれば誰でも天皇になれるわけではありません。
まずこの点を氏は誤解しておられます。
Y染色体は男系を説明するのに都合がいいからよく利用されるだけに過ぎません。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


Q:単なる必要条件にすぎないはずのY染色体論を持ち出すのはなぜか?
A:Y染色体は男系を説明するのに都合がいいから。


はい、先生から答え出ました。ここ、テストに出ます。


結局、最後まで読み進めても、男系継承という結論ありきで、それに合致する科学っぽいものとしてY染色体が担がれているだけとしか私には読み取れなかった。そもそも、これは科学の守備範囲の問題ですらない。科学が教えてくれるのは、「男系継承なら同じY染色体がずっと受け継がれる」という事実だけで、「歴史あるY染色体は尊い」とも「その染色体がなければ天皇になり得ない」とも教えてくれない。このように男系継承の根拠にY染色体の話を持ち出すのは科学の濫用だし、もしかするとニセ科学かもしれない*6。男系継承を支持する人はこんな屁理屈に頼らないで、もっと堅実な理屈を考えないと。

おまけ

また、このエントリーでは「知の巨人」こと立花氏に他にもツッコミが入れられている。引用部分を読む範囲では、たしかに立花氏の計算はいい加減にもほどがあると思うし、皮肉もいまいちズレてる。Y染色体の重要性も過小評価している。でも、このツッコミはおかしい。↓

Y染色体は男性だけに伝えられていくから、男系の直系の天皇なら、神武天皇と同じY染色体が伝えられているはずという主張は半分正しく、半分正しくない。
 正しくない点は、Y染色体といえども、父から息子に伝えられ、代替わりするごとに、少しずつ変異が積み重ねられていくというのが遺伝の法則だから、二千六百年後のいま、皇族につらなる男性といえども、神武天皇と同一の染色体を伝えているということはないということである」(同書157ページ)

 先にみたように、Y染色体は常染色体やX染色体と違って、減数分裂の時に交叉する部分はわずかしかなく、その部分はY染色体独自の部分ではなくX染色体と共通の部分です。
つまりY染色体に特異的な遺伝子はよく保存されたまま息子に受け継がれます。
「変異」が何を指しているかわかりませんし、「遺伝の法則」も何を指しているのかさっぱりわかりませんが(どんな法則を想定しているんだろう?)、単なる突然変異や複製ミスなどであれば、他の染色体と同じ程度しかありませんし、やっぱり何を問題視しているのかわかりません。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


まず、「単なる突然変異や複製ミスなどであれば、他の染色体と同じ程度しかありませんし」というのは間違いだ*7。雄の生殖細胞は雌のそれと比べて分裂回数が格段に多い。そのため世代を跨ぐときに必ず雄の生殖細胞を経由するY染色体の進化速度は、1/2の確率でしか雄性生殖細胞を経由しない常染色体の約2倍になることが知られている*8。そして、速度が早かろうと遅かろうと、変異を問題にしないでどうやって天皇のY染色体の同一性を定義づけているのか分からない。Y染色体に変異が生じるからこそ、Y染色体はいくつものタイプに分けられ、天皇のY染色体とそうでないY染色体が区別されうるというのに。立花氏は変異で天皇のY染色体の同一性が損なわれてしまったら、男系継承の意義が薄れてしまうと考えたのだろう。定量的な問題はあるにせよ、これはごく自然な意見だと思う。

しかし一方では、そのような指摘は的外れで、天皇のY染色体の同一性は変異で損なわれてしまうような遺伝情報とは別次元のものだという考え方もできないことはない。これは科学の範疇を越えた考え方だ。例えば、例えば天皇のY染色体には歴代天皇の神聖な魂が宿っているみたいな。だが実際には、そうではないようだ。

核ゲノムの塩基数に比べ、ミトコンドリアの塩基数は極端に少なく、遺伝子も少なく10個ほどしかありません(核ゲノムは2万数千個)。
この小さなDNAをヒトのアイデンティティに使うという発想は、「細胞生物学の知識のある人」にはないと思います。

(引用元: http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html )


立花氏の"ミトコンドリアを根拠にした女系天皇だっていいじゃん"というちょっとズレたツッコミに対する答えはこうなのだ。ミトコンドリアは塩基数も遺伝子も少ないからヒトの同一性の判断に使うことはできないという考えは、それよりもサイズが大きく遺伝子数が多いY染色体は使えるという考えの裏返しだと思われる。やっぱり、遺伝情報がY染色体の同一性を規定しているという考えらしい。


ま、結局、Y染色体は男系を説明するのに都合がいいから使われているに過ぎないからどうでもいいんだけどね!

*1:[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6siryou3.html]

*2:[http://seeds.hiroshima-u.ac.jp/soran/ec7f7hd/index.html]

*3:[http://www2.biglobe.ne.jp/~ashida/]

*4:[http://blackshadow.seesaa.net/article/14732835.html]

*5:*「自然淘汰によって生物は多様化した。」という進化論が、イデオロギーによって「弱者は淘汰されるべき。」という主張にすり替えられてしまうことに似ている。

*6:kikulogではこの「Y染色体説」がニセ科学としてすでに取り上げられていた。[http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1138887672]

*7:「同程度」の閾値設定にもよるが。

*8:理論上そうだし、観測事実としてもそうだ。詳しくは[http://www.brh.co.jp/katari/shinka/shinka11.html]