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Not so open-minded that our brains drop out.

科学とニセ科学について書くブログ

『科学との正しい付き合い方』のダメなところ

科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)

科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)

別に書いてあることが全部ダメってわけじゃないが、問題がある本だった。この本は科学の非専門家に向けられたものだが、私がそのような友人に『科学との正しい付き合い方』を分かってもらいたいなら、この本は紹介しないだろう。

ダメなところ1:ニュートン力学は間違いだという間違い

サイエンス・コミュニケーターは科学者と一般人の間に立つ人であって科学者そのものである必要はないし、ある人が科学のすべてについて理解するのは不可能だから、サイエンス・コミュニケーターがありとあらゆる科学の分野に精通している必要はないとは思う。それ以前に相手がどんなプロフェッショナルでも、その人に全くのノーミスを要求するのは理不尽だ。しかし、サイエンス・コミュニケーターは科学の周辺領域を仕事の場所にするのだから、科学について常識的な知識は有している必要があるだろうし、せめて自分が知らないことについて不用意な発言をしないことで、科学について誤解を生まないようにする努力を求めてもいいんじゃないかと思う。

ある科学の仮説が提唱された場合、それは実験や観測などを通して、初めて「どうやら正しいらしい」と言うことができます。もし、他の観察でその仮説に合わない結果が出てきたら、それは仮説の方が不完全で、間違っていたと認めなければなりません。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』101ページ)


以上の部分には何の問題もない。反証可能性について分かりやすい説明だ。しかし、反証された仮説として挙げた具体例がまずかった。

物理を選択した方は、「運動方程式」などのニュートンが見出した法則を習ったと思います。このニュートン力学は、19世紀までは問題なく受け入れられていた法則でした。
しかし20世紀になると、観測技術が発達して、この法則に合わない結果が次々と出てきたのです。「速度が光速に近い場合」「温度が絶対零度(マイナス273.15℃)に近い場合」などはニュートン力学では説明できません。
それらの結果を説明するために、20世紀に入ってから「相対論」や「量子論」が生まれ、花開いたというわけです。


ニュートン力学は「19世紀までは問題なく受け入れられていた法則」などではなく、紛れもなく現在でも受け入れられている法則だ*1。確かに光速に近い速度で運動する物体を記述するには相対論が必要だし、ミクロの現象は量子論が役に立つ。しかし、日常的な範囲ではニュートン力学は有効であり、近似的に正しい。近似的に正しいだけで厳密には間違いだというツッコミを入れようと思った人には、相対論や量子論は近似ではないと言えるのかとツッコミ返したい。どんな理論でも、現象をある精度で近似的に説明できるに過ぎない。実験装置と測定装置の限界から、そのことに気がつかないことはあり得るが、近似ではないと言える状況はあり得ないだろう。

いくらなんでも内田氏が本気でニュートン力学が間違った理論だと思っているとは考えにくいが、もし間違いだったと分かった仮説の例とするならニュートン力学ではなくて、フロギストン説やエーテル宇宙論を挙げるべきだったと思う*2

ダメなところ2:科学は宗教という誰得な書き方

内田氏は科学が宗教の一つだと述べ、自らを科学という宗教の信者だと言って憚らない*3。特に、スパコンの事業仕分けのことに言及する際には、予算削減に抗議する科学者たちを狂信者の集団だと断じている。この部分については内田氏のブログで書籍と同じ内容が公開されている*4

 そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。
「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか? というものがある。これをどう説明しようと思うか?」

 それに対し、あるノーベル賞受賞者が、「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。
 すると、会場では拍手が起こり、twitterでの書き込みも「○○新聞の記者の質問に対して良い切り返しだ」という意見をはじめとして、賛同の嵐が……。
 それだけならまだしも、「これは科学者の決起集会です!」「科学者集団、蜂起!」などという熱い投稿まで。
 私は、twitterに次々と書き込まれるこの文字の列を見て、背筋が寒くなるのを覚えました。

 その熱狂している様子が、まるで「科学教の狂信者集団」に見えたのです。ノーベル賞・フィールズ賞の受賞者を「教祖」、そこに集った人たちを「信者」に置き換えるとぴったりの風景に映りました。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』101ページ)


スパコンの事業仕分けに対する一部の科学者の反応は、たしかに真っ当なものではなく、批判されても仕方がないものだった。特に、記者の質問に対する"あるノーベル賞受賞者"の回答が本書の記述通りのものでそれ以上の説明がないのなら、税金を使って仕事をしている(しようという)人間として非常に問題がある態度と言わざるを得ない。

しかし、だからといって科学は宗教だとか、事業仕分けに反発するのは狂信者だとか書くのが適当だということにはならない。私が不適当だと思う理由の一つは、何をもって宗教だとするのかという定義が不明確でこの表現に意味があるのか疑わしいという点だ。思うに、事業仕分けの裁定に承服しない人たち会見の雰囲気というのは、もっと言えば、事業仕分けに限らず、政治的な主張を行う人たちの会見というのはこういうものじゃないのか*5 *6。意見を同じくした人がたくさん集まって会見を行うわけだから、その政治的な主張が正しいにせよ、間違っているにせよ、その場で拍手が沸き起こり賛同の意見が湧き上がるというのは、程度の差こそあれ、ある意味ではありがちなこと*7じゃないのかということだ。そういうある条件・ある場所で起こり得るある意見一色の雰囲気を宗教と呼ぶことに何の意味があるのか私にはよく分からない。

不適当だと思うもう一つの理由は「科学は宗教」というのがニセ科学を正当化し、科学を相対化するための常套句だからだ*8。内田氏にそんな意図がなかったとしても、ニセ科学の問題と無縁ではないサイエンス・コミュニケーターが、このような詭弁と混同されやすい表現を敢えて使うだけの必然性があったのかは疑問である。

と、私は本を読む前に内田氏のブログでの引用を読んで「間違いとは言い切れないけど、適切とも言えないよね」という感想を持っていた。しかし、本を買って他の部分も読んで、それだけでは済まされないという気もしてきた。内田氏の「科学は宗教」が誤解を生むというよりは、誤解でも何でもなくニセ科学の擁護者が使うのと同じコンテクストでこの言葉を使っていて、やはり科学に対する(過度の)相対化を行なっているのではないかという不安が湧き上がってくる。

科学ってそんなに偉いもの?

個人的には科学が好きですし、応援したいと思っていますが、決して特別視していません。世の中のあちこちに何気なく転がっている"one of them"であり、文化の一つでしかないと思っています。
本書でしつこいほど書きますが、「科学はありふれたもの」なのです。

先に述べた、2009年末に実施された行政刷新会議のための「事業仕分け」で、科学技術予算にメスが入れられた直後に、科学コミュニティが猛反発。
そこからは、科学者たちの「神聖で不可侵な科学に対して何をするんだ!」というメッセージを感じてしまいます。
科学はこの世の中を記述する「方法論の1つに」に過ぎません。それを祭り上げて特別視してしまうことの弊害は大きいと、私は考えるのです

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』143ページ)


科学は神聖不可侵ではないし「ありふれたもの」であるという意見には同意する。科学技術予算も財政状況と他の分野への投資とのバランスによって決められるべきだ。方法論に過ぎない科学にエライも何もないだろう。しかし、内田氏は「科学というある一つの文化では地球は球体ということになっているが、私の文化では地球は平面ということになっています。それも事実ですよね。」と言われたら、どう答えるのか? 内田氏なりの合理的な回答が返ってくるのかもしれないが、目を閉じるとこの本を手に創造論者が「科学も宗教。創造論の何が悪い」と主張する姿が浮かんできて悲しい気持ちになった。
*9

ダメなところ3:事業仕分けに対する認識が過度に単純化されている?

内田氏は事業仕分けに対する反発の多くが、「科学マニア」によるものだと主張する。

2009年末の行政刷新会議の仕分け作業で、次世代スーパーコンピュータの開発予算が議題にあげられたとき、仕分け人だった民主党蓮舫議員が、「(コンピュータ性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という趣旨の発言をしたのを、テレビなどの報道で知った方もいらっしゃると思います。
これに対して、「なんてつまらない質問をするんだ」という非難や揶揄の声が聞かれました。この発言元の大半が科学技術の「マニア」たちです。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』243ページ)


「この発言元の大半が科学技術の「マニア」たちです。」という主張のソースは明示されていない。果たして本当だろうか? すべてではなくて「大半」なのでその真偽を判定するのは容易ではない。ただし、一般論として言えることは、事業仕分けは社会的・政治的な関心事だったから、科学に特に関心がなくても政治(民主党)に物申したかった人の多くが意見を述べたのは想像に難くない。ソースも示さずに「マニア」の仕業にするのはちょっと危険すぎないか。このスパコンの事業仕分けに関しては阪大の菊池氏*10は決起集会を開いた科学者サイドに(も)問題があったという指摘を行なっているし、仕分け人だった東大の金田康正氏は計算機科学の専門家の立場からスパコン事業の問題を指摘している*11。本当にスパコンの価値が理解できた真の「マニア」のうち、どれだけの人が「なんてつまらない質問をするんだ」と思ったのだろう。
結局のところ、どうだったのかは調査なしには分からないが、「この発言元の大半が科学技術の『マニア』たちです。」と述べるのが内田氏である以上、その証拠せめて傍証、少なくとも「大半が科学技術の『マニア』」と思った理由を示す責任は内田氏にあると思う。

ダメなところ4:血液型差別に対する態度

内田氏は「理系人が陥りがちな罠」という節で血液型性格判断について以下のように述べている。

竹内氏は、続けて「合コンやパーティーの余興でも、血液型の話は許されない」という例をあげていますが、たしかにそのような席上で「血液型の性格判断はいかに科学的でないか」を雰囲気を読まずに語って水をさす理系人は大勢います。
彼らにとって「科学で認めていないものは、非科学的だ」と許しがたいものとなっているのです。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』253ページ/竹内氏とは竹内薫氏のことで、例というのは同氏の『理系バカと文系バカ』で挙げられているものらしい。)


何か「血液型の性格判断はいかに科学的でないか」を雰囲気を読まずに語って水をさす理系人が悪者みたいな書き方だ。私は雰囲気のために敢えて黙っている理系人が悪者だとまで思わないが、血液型性格判断という一種の差別的な言説に対して反論した人が"空気よめない"悪者の扱いを受ける筋合いはないしあんまりな書き方だと思う。飲み会で人種差別されても雰囲気が悪くなるから黙ってろと言うのとどう違うのか? 差別の共犯者と言われても仕方がない*12行為に思える。

ちなみに、内田氏によれば科学リテラシーを持っている人は以下のように振舞うべきなのだという。

本当の科学リテラシーの持ち主であれば、白黒つけた判断はせず、ボーダーラインを広くとって疑い続ける姿勢を持っています。なので、そのような断定した言い方はできないはずです。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』253ページ)


念のために書いておくが、この引用部分は前の引用部分の直後から始まっている。これは明らかに血液型性格判断についての話なのだ。

確かに科学は完全ではないので、真っ黒だとか真っ白だとかはっきりと判定できるわけではない。その意味では、血液型性格判断を完全否定することはできない。でも、問題はそこじゃない。血液型性格判断が可能だという証拠がないのに、さもそれが事実であるかのように語る血液型性格判断こそがそもそもの問題であり、科学的に正当な態度とは言えないのだ。そういう人の科学リテラシーこそ問題にされるべきだろう。

別の例を出せば、「黒人の知能は白人に劣る」という主張ですら、科学的には完全に否定出来ない。だからといって、飲み会で人種差別発言をされたときに「人種差別なんて科学的な根拠がないデタラメだ!」と言ったら、疑い続ける姿勢を失った科学リテラシーのない人間として扱われてしまうのか? もし内田氏がその場にいたらボーダーラインを広くとって「確かに黒人の知能が劣るという証拠はないけど科学でははっきり分からないので、科学的に間違いだと断定するのはよくありませんよね^^」とでも言うんだろうか?

血液型くらいで大げさだと思う人は、NATROM氏の『血液型の話をすることくらいはいいのか? - NATROMの日記』というエントリーを参照されたい。

最後に

私はサイエンス・コミュニケーションはすごく重要だと思っている。専門家がいくら研究しても、結局その一握りの人だけがその成果を独占していたのでは宝の持ち腐れだし、科学研究に税金が投入されている以上、積極的に科学の恩恵が社会全体に行き渡るようにすべきだと思っている。その意味で私はこの本(に限った話ではないが。)にはすごく期待していた部分はある。それだけに大部分は正しいことが書かれているのに些細な問題に神経質になっている部分はあるかもしれない。しかしながら、本来の科学の姿を伝えるはずのサイエンスコミュニケーションが多少なりとも*13誤解を広めてしまうとなると、それはかなり不幸なことなので、できるだけ神経質に(厳格に)問題を書き出すことにした。

追記(2010/4/30)

ダメなところ1 について、id:NATROMさんとid:Zarathustra1951-1967さんからはてブで、それぞれ「それほど問題がない」「難癖だろ?」との指摘を頂いた。敢えて神経質に問題をピックアップしたので大した問題じゃないのに書き立てているという指摘にはそうでしょうと答えるしかないが、私の指摘もまた間違いであるという意見には耳を傾ける必要があると思う。ダメなところ1に対する指摘については、私の物理に対する理解不足による可能性が排除できないし、その正しさについて検討する余地が残されているかもしれない。


それから、はてな匿名ダイアリーのエントリーからリンクしていただいたが、それに関連して言いたいことがある。

存外に反響を頂いたようで、もちつけとのご教示感謝。こちらでまともな書評がされていたのを見て危惧している層がいる事に少し安心した。

http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100429/1272558924

(引用元: http://anond.hatelabo.jp/20100429013047)

リンクは自由なのでオウム真理教のサイトからリンクされようが、統一教会のサイトからリンクされようが、はたまた科学教の狂信者からリンクされようが、私はそれを撤回するように求めたりすることはしない。しかし、この増田氏の言う「危惧」と私の危惧は同種のものではないので、紛らわしい紹介をされてなかなか不愉快である。

この女が、仮にも日本の最高学府で科学広報をする立場にある事はもっと危惧した方がいい。

世俗世界では、女の比率の異常に低いグループに属しちやほやされて、調子に乗ってグループ全体を破滅に追い込み、その規模のでかさを自分の能力として幸福感を得るいわゆるサークルクラッシャーという手合いが居る。

(引用元: http://anond.hatelabo.jp/20100429013047)

こういう見方をするトンチンカンな人に私のエントリーを「まともな書評」と評されるのはどちらかと言えば不名誉なことだろう。

*1:この話はここに詳しい→http://letsphysics.blog17.fc2.com/blog-entry-282.html

*2:フロギストンは一般人には知られていないし、エーテル宇宙論は難しすぎるって? だからってニュートン力学を例に挙げるのが適切でないことには変わりない。

*3:251ページ。権威化された科学は宗教だと述べたり、自分は科学という宗教の信者だと述べたりと一貫していないようにも思える。

*4:http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518383971.html

*5:「予算をよこせ」というのは科学的な主張ではなく、政治的な主張だ。ノーベル賞受賞者らの傲慢とも思える態度に対して、内田氏はニールス・ボーアが大物科学者である自分にも物怖じせずに意見を述べるリチャード・ファインマンを評価していたというエピソードを紹介しているが、これは科学の議論での話であってちょっと意味が違うような気がした。もちろん、権威主義批判という意味では共通であり、科学だろうが政治だろうが権威に惑わされるべきではないというのは正しい。しかし、ノーベル賞受賞者らの政治的な主張から「(我侭な)政治(的主張)は宗教」という見解が導き出せても、「科学は宗教」ではないような気がする。

*6:記者の質問にきちんと答えられるかは別問題。他の団体はきちんと受け答えできたかもしれない。しかし、それは宗教か否かということと関係あるのか?

*7:だからそれでいいと言いたいわけじゃない。

*8:http://transact.seesaa.net/article/53469835.html http://transact.seesaa.net/article/107015091.html

*9:科学の相対化と宗教の問題は意見の分かれるところだろうことは承知している。リチャード・ドーキンスの厳格な科学観はアメリカ科学振興協会AAASから煙たがられているそうだ。確かに信心深い人にも科学を広めたいAAASからしてみたら、ドーキンスは煙たいかもしれないが、科学の相対化が科学を台無しにしてしまうことを考えればドーキンスのやり方がサイエンスコミュニケーションの失敗だとまでは思わない。

*10:http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1259279544

*11:当事者の意見でもあるが専門家の意見でもある。 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20091225/342666/?ST=platform

*12:抜けていました。id:shijuushiさんのご指摘に感謝いたします。

*13:もちろん、ゼロリスクは求めない。でも、十分に注意が払われるべきだろう

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