Not so open-minded that our brains drop out.

科学とニセ科学について書くブログ

ダブル竹内の悪いとこ取りをする内田麻理香氏

「サイエンスコミュニケーター」の内田麻理香氏は、著書『科学との正しい付き合い方』で展開した「血液型性格判断批判批判」についてtwitterで議論になった際に、以下のようにつぶやいている*1



なるほど。内田氏は血液型性格判断は黒に近いグレーだと思っていたらしい。でも、議論の発端となった内田氏の著書の記述を読むと、

竹内氏は、続けて「合コンやパーティーの余興でも、血液型の話は許されない」という例をあげていますが、たしかにそのような席上で「血液型の性格判断はいかに科学的でないか」を雰囲気を読まずに語って水をさす理系人は大勢います。
彼らにとって「科学で認めていないものは、非科学的だ」と許しがたいものとなっているのです。
本当の科学リテラシーの持ち主であれば、白黒つけた判断はせず、ボーダーラインを広くとって疑い続ける姿勢を持っています。なので、そのような断定した言い方はできないはずです。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方』253ページ/竹内氏とは竹内薫氏のことで、例というのは同氏の著書『理系バカと文系バカ』で挙げられているもの。)


血液型性格判断が黒に近いグレーだと思っていたのなら、どうして人前でそんな話を披露してしまう人の科学リテラシーを問題にせず、それに異議申し立てをした理系人のリテラシーが問題にされたのか理解出来ない。科学リテラシーについて議論したいのだとしたら、「雰囲気を読まず」とか「水をさす」とかいう印象論的な言葉を織り交ぜる意図も分からない。

竹内久美子氏に"疑い続ける姿勢"を十分発揮できなかった内田麻理香

少なくとも『科学との正しい付き合い方』を読む限り、内田氏は血液型性格判断が事実かどうかという問題は"グレー"であり、「血液型性格判断は科学的に言えば間違いだ」というような断定的なものの言い方をする人はリテラシーのない人だと見なしているようだ。


確かに本当に文字通りの意味で「絶対に血液型性格判断は間違いだ。100%ありえない。」と断言する人がいたら、ツッコミを入れる余地があるのかもしれない。科学に文字通りの「絶対」はありえないという意味でこういう絶対的な断言は科学的な態度から逸脱しているという意見には一理あるとは思う。もっとも内田氏が挙げた例に登場する理系人がそういう考えで「水を差した」のかは分からないし*2、私はそういう極端なものの考え方をする人を知らない。twitter血液型性格判断を「黒に近いグレー」だと評する内田氏は、こういう「科学教徒」に対して苦言を呈したのだろうか?


内田氏の血液型性格判断についての見解は、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『主婦と科学。家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所』の記事に詳しい。この記事では前半部分で血液型性格判断が当たっているように見える理由を統計学的な観点から説明した一方で、血液型と病気との間の相関関係についての研究を紹介し、竹内久美子氏の『小さな悪魔の背中の窪み』から"ユニークな説"を紹介している。

例えば、病気に強いO型だからこそ
病気を恐れず人と交わる「社交的」な性格となった、とか。
病気に弱いA型だから、慎重な性格になった、とか。

この大胆な仮説は当然のことながら論議を呼びました。
確かに、「血液型→病気」の関係は証明できたとしても
「病気→性格」の関係を示すのは難しい。
そして、それが「血液型→性格」と繋がるとも限らない。
でも! ニヤニヤしながら「ほんとかな」と
楽しめる面白い本だとは思います。

(引用元:http://www.1101.com/kasoken/2004-07-23.html)


竹内久美子説の難点である論理の飛躍を指摘したのはいいが、結局"ユニークな説"を棄却することはできていないようだ。竹内氏の『小さな悪魔の背中の窪み』の血液型性格判断に関する主張は自説に不都合な研究結果を無視したり統計の解釈にも問題があったりと、「ほんとかな」じゃなくて「これはないだろ」という限りなく黒に近い本なのだが*3、大丈夫なのだろうか。

そして、文章を以下のように結んでいる。

とにかく、「血液型性格学」には科学がない!
と言い切るの「も」非科学的です。
マイナスイオンの話と同じく。
そこに科学が「ない」可能性は
ゼロとは言い切れないのです
(ああ、わかりにくい日本語〜)。
イイカゲンな検証で
「血液型と性格の関係は科学的根拠がある」
と騒ぐのも、もちろんよろしくありませんが。

(引用元:http://www.1101.com/kasoken/2004-07-23.html)


あぁ、やっぱり結論はどっちつかずの内容になってしまっている。これが内田氏の考える「ボーダーラインを広くとって疑い続ける姿勢」なのだとしたら、この姿勢は不公正だと言う他ない。結局のところ血液型性格判断を裏付ける信頼にたる科学的なデータが何一つ示されていない*4し、少し調べれば血液型性格判断には否定的な調査結果が存在することは分かるのに*5、どうしてここまで血液型性格判断好意的な立場に留まれるのか。

ちなみにここで引き合いに出されているマイナスイオンについての記事でもこんな調子だ。

現在のところ、マイナスイオンの周辺は商売先行で
「アヤシサ満点」の科学です。
でも、一般的に「エセ科学」と「本物の科学」の境目は
見えにくい場合が多いもの。
これまでも、怪しいと言って退けられていたものが
実は重大な発見だった、という例は多々あります。

きちんとした検証なしに
エセ科学だ!」と切って捨てるのも
これまた非科学的な行為だと思うのです。

(引用元:http://www.1101.com/kasoken/2004-06-04.html)


ここでもグレーゾーンが引き合いに出されて、悪い意味でどっちつかずの結論が導かれている。ついでに指摘しておけば、ここではニセ科学商品に対して見られる典型的な誤った擁護の論理が展開されていると言ってもいいだろう。阪大の菊池誠氏はこの記事で内田氏が披露したような「反論」に対して以下のような指摘をしている。

では、これは「ニセ科学」ではなく「未科学」なのかということになるのだが、残念ながらそうはいかない。効果がはっきりしないものをあたかも効果についての科学的な証明があるかのようにいうのはやはり「ニセ科学」である。「よく調べれば、マイナスイオンの効果が明らかになるのではないか」という反論を受けることがあるのだが、それは本末転倒で、「よく調べてマイナスイオンの効果が明らかになったから、商品化する」でなくてはならないことは誰が考えても当然の話。

(引用元: http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html)

竹内薫氏にも"疑い続ける姿勢"を発揮できなかった内田麻理香

仮にパーティーの余興でこんな話を始める人がいたらどうだろうか?


「黒人は大雑把な性格だけど、白人は几帳面だから」


たぶん少なくない人がこれは人種差別だと感じるだろうし、会場は気まずい空気に包まれることだろう。私には血液型性格判断がこの手の差別とどう違うのか分からない。生まれつき決まっていて個人の力ではどうすることもできないことと関連付けて、性格というただでさえデリケートな問題について勝手なことを言っている、という意味ではこのような人種差別と血液型性格判断は同質な問題をはらんでいると言っていいだろう*6

血液型性格判断の擁護者は、「差別につながるようなことがなければ問題ないじゃないか」と言うかもしれない*7。しかし、上の例で気まずい空気を作り出してしまった人が言い訳で「いや、別に黒人はうちの会社に雇わないってわけじゃないよ」などと言ったところで、大した言い訳になっていないことからも、その理屈が正しくないことは分かるだろう。そういう偏見の目で人を見ていること自体が人前で公言できるような誉められたことではないのだから。*8

あるいは、「血液型性格判断は単なる話題作りであって誰も科学的に正しいかどうかを論じちゃいないんだから、マジレスするのはナンセンス」という反論があるかもしれない。しかし、人様の性格というデリケートな問題について事実に基づかないデタラメをそうと知っていながら口にしてしまうというのは、なおさら良識を疑われても仕方がない行為に思える。

実は、ここで想定した二つの擁護者の反論はいずれも内田氏が「尊敬する科学作家」と評している*9竹内薫氏が『理系バカと文系バカ』で述べているのと実質的に同じの内容なのだ。

しかし、血液型性格分類というのは科学的な根拠はいっさいない。血液型占いは科学ではなく文化の話なのだ。その証拠に、血液型による性格の分類が普及しているのは日本と韓国と中国、あとは台湾くらいだ。私は子供の頃、アメリカに住んでいたが、アメリカの子供たちが血液型の話をしているのを聞いたことがない。
ただし、「科学的根拠がないから血液型による性格分類はインチキだ。やめた方がいい」と言っているわけではない。飲み会の席で血液型の話で盛り上がるならそれでもいい。しかし、「わが社には真面目な人材が欲しいからB型は採用しない」というようなことになると話は別だ。会話のネタとして使うのはOKだが、就職や差別につながるようなことは絶対にいけないということだ。人間の性格が4種類しかないというのは典型的な「文系バカ」だ。

(引用元: 竹内薫『理系バカと文系バカ』38ページ。)

当然のことながら、UFOや超常現象といった、正統派の科学者が認めない現象について語ろうものならば、それが合コンやパーティーの余興であっても絶対に許されることではない。「理系バカ」に冗談は通用しない
万が一、こういった「理系バカ」に注意されてしまったら、私はこう答えることにしている。「別に信じていないって。UFOや心霊現象血液型の話はポップカルチャーの一種で、誰も科学的に正しいかどうかを論じちゃいないから安心しろ。」

(引用元: 竹内薫『理系バカと文系バカ』96、97ページ。)


元はと言えば、内田氏の著書での血液型性格判断についての言及も、竹内薫氏の本のエピソードを引用する形で行われたものだった。内田氏の「科学で認めていないものは、非科学的だ」という教条的な「理系人」像のソースは、竹内薫氏による「正統派の科学者が認めない現象について語ろうものならば」という「理系バカ」の心理についての根拠不明の記述にあると考えるとしっくりくる。内田氏の血液型性格判断批判批判は竹内薫氏の思慮に欠く立場に少なからず影響を受けているものと見ていいだろう

実は両立しないダブル竹内から都合よく悪いとこ取りをしている内田氏

内田氏は少なくとも『主婦と科学。家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所』の記事が書かれた2004年の時点では竹内久美子氏の説が間違いだとは(あるいは限りなく黒に近いとまでは)気づいていなかったようだし、『科学との正しい付き合い方』では、その当時からのグレーゾーンを理由にしたどっちつかずの態度を現在まで維持しているようだ*10。一方、内田氏の血液型性格判断批判批判は明示的に彼の本から引用を下地にして展開されており、『科学との正しい付き合い方』の執筆時点では竹内薫氏の立場に追従しているように思える。

しかし、こうして竹内久美子氏と竹内薫氏の血液型性格判断に対する見解を整理してみると、実は両氏は血液型性格判断の真偽については、その立ち位置が異なっていることが明白になってくる。竹内久美子氏は病気を介して血液型と性格の間には相関があって血液型性格判断は成立しうるという立場だが、竹内薫氏は「血液型性格分類というのは科学的な根拠はいっさいない。」(『理系バカと文系バカ』38ページ)*11と全否定しているのだ。

ここでもう一度の内田氏の文章を引用してみよう。

本当の科学リテラシーの持ち主であれば、白黒つけた判断はせず、ボーダーラインを広くとって疑い続ける姿勢を持っています。なので、そのような断定した言い方はできないはずです。

(引用元:内田麻理香『科学との正しい付き合い方』253ページ)

!?


なんと「尊敬する科学作家」だったはずの竹内薫氏は実は内田氏に言わせれば、「本当の科学リテラシーの持ち主」ではなかったらしい。

それはそうと、血液型性格判断の信憑性を全否定する立場の竹内薫氏の名前を、それとは別の立場に立脚する自分の主張を補強するために引き合いに出すのは公正なことだと言えるのだろうか。少なくとも注釈くらいはつけてもいいと思うのだが。

*1:すべてを網羅している保証はないが全体的なやりとりは http://togetter.com/li/18186

*2:実はこの例は竹内薫氏の著書で紹介レさている例を引いているだけなので、内田氏がその場に運良く居合わせたのでなければ、内田氏自身もこの理系人の心中を知っていたとは考えにくい。

*3:これについては今後、別のエントリーで詳しく説明する必要があるかもしれないが、長くなるのでここではまだ書かないことにする。私がハッタリを言っていると思う人は実際に読んで確認して欲しい。

*4:内田氏は言及していないが、竹内久美子氏はレイモンド・キャステルの論文を血液型と性格を結びつける直接の根拠として提示している。しかし、この文献は方法論的な欠陥があり根拠と呼べるシロモノではなかった。

*5:単に否定的な研究と肯定的な研究が混在しているので結論が出ていないというような状況ではない。http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/test.htm

*6:人種差別と血液型性格判断は両方とも事実に基づかない差別の例だが、仮に血液型性格判断が成り立つにしても生まれつきの性質で性格についてとやかく言うのは思慮に欠ける行為だし、少なくとも合コンやパーティーの余興で安易に語るべきものとは思えない。

*7:実際にはいじめや差別に繋がっているという指摘もあるようだ。http://www.bpo.gr.jp/youth/decision/001-010/006_blood.html http://togetter.com/li/20545

*8:内田氏はtwitterでの指摘を受けて「『他人に害を及ぼさない限り』というのを数行入れた方が良かった、とも思います。」と述べているが、これも「他人に害を及ぼさない限り人種と性格の関係について話したっていいだろう。」と言っているようなものだ。

*9:http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518067677.html

*10:ただし、『科学との正しい付き合い方』では竹内久美子氏の名前は一切上がっていないし、この6年間の間に内田氏が竹内久美子氏の説を捨てている可能性は否定出来ない。だが、そうだとすると、どうしてこれほど曖昧なな立場に留まっていられるのか分からない。

*11:『理系バカと文系バカ』の元の文ではご丁寧に「科学的な根拠はいっさいない」の部分に[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8F%E7%82%B9:title=傍点]が打たれ強調されている。これを「断定」と呼ばないのなら、何を断定と呼ぶのだろう?

広告を非表示にする