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科学とニセ科学について書くブログ

修士論文『ホメオパシーにみられる心理治療』を読んで

JPHMA&HMA認定ホメオパス、すなわち由井寅子氏率いるホメオパシージャパン系のホメオパスの高橋佳子氏が自身のウェブサイトで修士論文を公開していたので、興味深く拝読した。引用歓迎とのこと*1なので、詳しく批判したいと思う。

修士号の取得元は? 何についての修士号なのか?

論文の冒頭部分・高橋氏のプロフィール*2によると学位を授与したのはアライアント国際大学カリフォルニア臨床心理大学院(AIU/CSPP)とある。この組織は文部科学省の認可した日本の大学ではないが、東京にサテライトキャンパスを設置しているアメリカの大学らしい。ただし、この論文がabstract以外は日本語で書かれていることからも分かるように、アメリカの大学でありながら日本語の論文で修士号が取得できるようだ。それから、誠に失礼ながら、私はこの大学がもしかしてディプロマ・ミル(学位工場)では?と疑ってしまったのだが、大学の公式ウェブサイトのFAQでは明確に否定されている。

まず、当校は米国の大学院プログラムとして正式にWASC (西部米国大学大学院協会)認定を受けており、3年間48単位を取得して初めて学位が授与されます。最近、「ディプロマ・ミル (ディグリー・ミル)」といわれるeラーニングによる、社会経験を単位に換算し短期間で学位取得が可能な海外大学院プログラムがあるようですが、当プログラムは、そういうものとは全く異なるものです。

(引用元: http://www.csppjapan.com/faq/faq1.htm 強調は引用者による。)


また、高橋氏のプロフィールには以下のような注釈がつけられている。

注)スタンフォードやハーバードが認定を受けているWASC (米国西部大学・大学院協会) とAPA (米国心理学会) より認定を受けている、米国の著名な教育機関

(引用元: http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/profile.html)


なるほど。この大学がスタンフォード大学ハーバード大学と同等の認定を受けていることは分かった。しかし、私は不覚にもこの「米国の著名な教育機関」のことをディプロマミルかと疑ってしまったようだが、不思議と顔から火は出なかった。*3


次に、修士号の分野だが、プロフィールらは「米国臨床心理学修士号」とある。修士論文のタイトルは『ホメオパシーにみられる心理治療』なので、ホメオパシーに関する論文で学位を取得したことに違いはないが、ホメオパシーのためのコースで取得した論文ではなく、飽くまで臨床心理学のコースで取得された学位のようだ*4

総評

まず半ば強引に評価できる点を述べておくと、ホメオパシーの現状、歴史、ホメオパシー支持者の言い分について概説した部分は参考になった。一応論文の形式を採っているので、それなりに参考文献も提示されている。例えば、江戸時代の蘭学者によってホメオパシーが「忽没越阿巴智」として日本に紹介されていたことなどは雑学的に面白いし、フランスのホメオパシー企業Boironグループの売上が3億ユーロにも上った年があること*5などは興味深い情報も紹介されている。


ただし、その一方で、この論文の著者が何をしたのか、つまり新規性がどこにあるのかはよく分からなかった。読んでいて総説*6なんじゃないかと思うくらいだ。もちろん、学位論文として適当かという問題を差し置けば、総説だって立派な論文だと言うこともできるかもしれない。しかし、救いようのないことに、最低限必要な客観性が欠如しているために総説にもなりきれていない。これはこの論文が、過去のホメオパシーや臨床心理学についての文献を引用した上で、そこに著者自身やその他のホメオパシー支持者の主観的意見を混ぜ込んで、最終的に恣意的な結論が導くという構成になっているためだ。特に"臨床"心理学の分野での学位論文であるにも関わらず、独自の実証的なデータは皆無で、代わりに由井氏を含む国内外のホメオパシー実践者による「事例報告」という極めて主観的な情報が使われているのはいただけない。


主指導教官には大野木嗣子氏、副査には田中葉子氏の名前が挙がっている。以上のような問題以前に、この論文には引用文献の選択や日本語にもおかしな部分が散見されるのだが、この両名は本当に審査・指導をしたのだろうか。少なくともこの論文を読む限りでは、アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理大学院が修士号を授与するに相応しい審査能力を有しているとは思えない


付け加えておけば、私は『ホメオパシーにみられる心理治療』というタイトル・テーマで研究を行うこと自体は有意義だと思う。ホメオパシーが有効だと誤認される背景にはホメオパスの用いる心理的なテクニックがある可能性があるからだ。論文中でも指摘されているように、ホメオパスたちが"問診"にそれなりの時間を費やしているのは、そういうテクニックを使うためなのかもしれない*7。このテクニックは、ホメオパスが用いれば砂糖玉を有効だと誤認させるための騙しのテクニック*8に成り下がってしまうが、まともな医師やカウンセラーが使えば患者を安心させて患者の満足度を向上させる正当なテクニックとして応用できる可能性すら残されているかもしれない*9。JPHMA&HMA認定ホメオパスの著者はこうしたテクニックを知る立場にありながら、同時に臨床心理学を研究する機会に恵まれていた少なくとも日本では稀有な存在であるにも関わらず、こうした視点での研究が行われなかったことは残念だ。

個別の記述へのツッコミ

Benvenisteの"研究"への無批判な言及

 その中でも画期的なことに,Dayenas, Beauvais, Amara, Oberbaum, Robinzon, Miadonna, Tedeschit, Pomeranz, Fortner, Belon, Laudy, Poitevin, & Benveniste(1988)は,ホメオパシーがどのように機能するのかについて,水の記憶という観点を通して科学的枠組みの中で証明した。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


これはやる夫で学ぶホメオパシー2で紹介した内容だ。最初に挙げられているBenvenisteらによる"研究"は、1分子も含まれないほどに希釈された抗体溶液が、白血球の一種である好塩基球が起こす脱顆粒という変化を促進したというもの*10で、ホメオパシー的効果を裏付ける研究として現在でもしばしば引き合いに出される。しかし、この研究はネイチャー誌の調査チームによってより厳密な実験方法では再現性が得られないことが確認されている*11し、ロンドン大学ユニバーシティカレッジによる追試でもBenvenisteらが主張しているようなホメオパシー的効果は存在しないことが改めて確認されている*12。つまり、彼らの実験結果は幻だったということが証明済みなのだ。そういう幻の"研究"をもって「科学的枠組みの中で証明」と言い切ってしまう高橋氏。幻だと断じた調査結果や追試の結果については当然、スルーである。

強引な結論の導出

また,Pilkington, Kirkwood, Rampes, Fisher, & Richardson(2005)は,公開または非公開されているうつ病に対するホメオパシー研究を包括的に検索し,ホメオパシーによる抑うつ治療の効果に対する研究のエビデンスを,系統的に検討するためMED-LINEやPsycINFO等,主要となる生物医学的データベースによる検索を実施した。それによりTable 1-2(Appendix)にあるホメオパシーによる抑うつ治療の研究をまとめた。Table 1(Pilkington et al., 2005, p.159)は,抑うつが主診断で,Table 2(Pilkington et al., 2005, p.160)は,抑うつが副診断である。その結果,臨床研究からの単発の事例報告および研究報告の出現頻度が一番多く,RCTは2つだけ確認され,これらのひとつは予備調査で,プライマリ・ケアにおける患者募集の問題を証明していた。さらにいくつかの観察研究においては,患者の満足度が高レベルであるという肯定的結果が得られた。しかし,統制群の不足という欠点があり,多くの調査研究報告の中で方法的妥当性の高い臨床研究は見つけられなかった

 同じPilkington et al. (2005)のホメオパシー治療における患者の満足と体験の研究では,量的研究は見つからなかったものの回答形式の研究で,Thompson & Reilly(2002)およびThompson & Reilly(2003)の研究が患者からのアウトカム測定を用いた満足度を示していたことがあきらかになった。Thompson & Reilly(2002)は,75%の患者はホメオパシー治療が助けになる,あるいは,とても助けになると回答したという結果になった。そして,Thompson & Reilly(2003)の研究では,全く不満足(0)から,とても満足(10)とした際に,90%の患者は,10段階尺度上の7以上で満足を示した。67%の患者は,ホメオパシー治療が助けになる,とても助けになる,きわめて助けになると回答し,21%がホメオパシー上の問題について回答したと報告している。

 このように長期間にわたる論争の継続はあるものの,ホメオパシーに全くの治療効果がないと片付けるのは不可能である。そして,臨床上における治療効果を得られた数々の報告からも,その心理治療部分の大いなる可能性について,もはや無視できないところにきている。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


確かに患者の満足度は重要だが、それは治療の効果の証明を代替するものではない。結局のところ著者はホメオパシーの臨床心理学的な有効性を文献から見つけ出すことができなかったにも関わらず、結論部分ではなぜか「大いなる可能性」が「もはや無視できない」ことになっている。どうしてこうなった。


科学と医療に対する偏見

ここ数十年で,近代西洋医学の分析的な手法が行き過ぎてしまい,病気を全体的に見ることができなくなった結果,様々な問題が生まれてきた。そして,副作用の問題,機械的な検査や治療に不安を感じている患者の存在,およびアレルギー,リュウマチ,癌等の免疫性疾患や原因のわからない慢性病に対して近代西洋医学があまり効果を挙げていないことがわかってきた(根本, 2005)。21世紀に入り,近代科学の成果が環境問題悪化の引き金となり,人々の健康も蝕みはじめていることが明るみに出ると,近代医学が使用してきた化学合成の医薬品に対する不信検査結果にあらわれた範囲でしか病気の存在を認めず,データにあらわれない痛みや症状の存在をとらえきれないこと,および病気という部分を診て人という全体を診ない方法への不満も人々の間で徐々に強まってきた(巻口,2002)。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


これはホメオパシージャパンの信奉者に典型的な現代医療に対する偏見そのものだ。こういう思想で毒された助産師たちが現代医療を否定を正当化し"人工物"であるビタミンKを与えずに子供を危険に晒してきたと考えると合点が行く*13

「英雄医学」に関する真逆の誤解

 日本における歴史と現在までの流れ 津谷(1996)は,江戸期に吟涅満(Hahnemann)による忽没越阿巴智(Homeopathy)として漢語が当てられ,日本に紹介されたものの,訳本が出版されるまでには至らず定着したとはいえなかったということを報告している。その理由のひとつには,日本の蘭学受容において,西洋における医学思想の理解が不十分であったために,翻訳に相当の労力が必要だったためである。また日本にホメオパシーが定着しなかった別の理由に,日本の医学そのものは元々が,先述したような和法を基礎とする植物性の薬物内服を中心とした緩和な医学であったため定着しなかったのではないかと推測される。一方,当時のヨーロッパでは,瀉血,下剤,あるいは水銀摂取等を用いた侵襲性の強いヨーロッパ医学が広まっており,その批判から,ホメオパシーはheroic medicine(英雄医学)とも称され,より緩和な医学としてヨーロッパに普及をもたらした一因となったこととは,日本は正反対であった(津谷, 1996)。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


この論文ではホメオパシーが英雄医学と称されたことになっているが、これは完全に誤りである。「英雄医学」(heroic medicine)とはむしろ「瀉血,下剤,あるいは水銀摂取等を用いた侵襲性の強いヨーロッパ医学」のことで、ここで言うheroicというのはこれらの治療の"荒っぽさ"を示すネガティブな表現なのだ。サイモン・シン、エツァート・エルンスト著『代替医療のトリック』では、「英雄的医療とは、十九世紀半ばまで主流だった、患者の身体を傷つけるタイプの治療を指すために二十世紀に作られた言葉である。」と説明されており、「英雄的医療の呼称は、英雄的であるとされた医師たちの役割を表しているが、その治療を受けてなお生き延びた人たちこそは真の英雄だろう」の皮肉めいたことが述べられている。

やる夫で学ぶホメオパシー1でも紹介したように、当時のヨーロッパでこの危険な英雄医学が主流だったことが、効果がないのと同時に無害なホメオパシーが広まる一因になったという見方は正しい。効果がなくても自然に病気は良くなるし、悪化させる可能性が高い英雄医学よりホメオパシーの方がずっと有効に見えたというわけだ。そういう意味では、ホメオパシーの歴史を語る上で英雄医療に言及するのは至極真っ当なやり方だが、この修士論文では誤って真逆の使い方になってしまっている。この間違いが出典となっている津田氏の1996年の文献に由来するものなのか高橋氏個人の誤読なのかは分からないが、ホメオパシーの輝かしい歴史を語る上でここが重要な部分であるだけに残念なことになってしまった感がある。

垣間見えるホメオパシーの危険な"教義"

「治癒過程および好転反応」の項では由井寅子氏の決め台詞である「症状はありがたい」にも通じる思想が独特の表現で紹介されている。

巻口(2002)は,ホメオパシーでは,病は本人に対するメッセージであるから,目を背けずに患いきる必要があると考えており,病による苦しみを通じて,自分を振り返り,病に真の意味を見出す時に人間は成長し,病と健康は表裏一体の関係であると述べている。そして,病が存在しなければ真の気づきと健康は存在せず,人間を病や死へ導くことができる力こそが,同時に真の健康をもたらす力であるとし,こうした考え方は道教や中国医学に見られる陰陽思想と類似すると説明している。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


真の気づき」とか成長とか自己啓発本みたいなキーワードが並んでいるが、これはれっきとした修士論文である。「人間を病や死へ導くことができる力こそが,同時に真の健康をもたらす力」という言葉は、実際にホメオパシーと関連して悲痛な亡くなり方をした人の存在が明るみに出た今、妙なリアリティと不気味さを感じる表現だ。

プラセボ効果なら動物・乳幼児には効かないはずという定番の言い訳

そして,もしプラシーボであるならば,乳幼児や動物に効く(市川,1999; Albrecht & Sch〓tte, 1999)という臨床結果について正確に説明しきれない。乳幼児,子供,動物,および植物によるホメオパシー治療は多く行われており(Day, 2005; Hansen, 2005; Levatin, 2004; 由井,2001),実際に臨床効果がみられた報告も先述の通り存在する。このようにホメオパシーがプラシーボで有効ではないと確証を得るには,今後さらなる十分な検討が必要である。

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


このロジックについてはやる夫で学ぶホメオパシー4でもツッコミを入れたし、最近では日本学術会議の会長談話でも指摘されていることだが、ホメオパシー支持者によるお決まりの、そして誤ったホメオパシー擁護の論法である。

病気は自然に良くなったり悪くなったりするし、特に軽い病気は彼らの好きな言葉でいうところの"自然治癒力"によって一般に良くなる傾向にあるから、レメディを投与とは関係なく動物の病気が良くなっただけのかもしれない。従って、ただレメディを投与した後に動物の病気が良くなったという事例報告だけではホメオパシーの有効性を主張するには不十分で、対照群としてレメディを与えない動物を設定し比較する必要がある。比較の結果、レメディーを与えた動物の方が回復の程度が大きかったとしても、ホメオパシーが偽薬以上に有効だと結論するにはまだ不十分だ。それはこの論文でも言及されているプラシーボ効果が動物でも発揮される可能性があるためだ。動物はレメディーの意味を理解出来ないだろうが、人間の様子を読み取る能力が高い動物の場合には、レメディーを与えた人間の様子を感じ取ってしまう可能性がある。あるいは、動物の回復の程度の評価が主観的な指標による場合には*14、人間側の先入観のためにレメディーを与えた動物の回復により好意的な評価を下してしまう可能性だって存在する。以上のような理由から結局は動物の場合にもホメオパシーの効果がプラセボ効果に過ぎない可能性は排除できないし、排除したければ人間の場合と同じく二重盲検を実施する必要があるのだ。

ソースはウィキペディア(キリッ

著者はホメオパシーの日本での受容について考察するにあたって、日本と海外の文化差について述べている。

海外と日本における人間関係の文化差について検討する場合,日本は競争社会にもかかわらず,日本人は人間関係において和の精神というように,一般にあからさまな競争および衝突を避ける。そして集団行動を好み,一致団結した達成感を得られるものの,それに伴う著しい緊張があるといえる。日本人は個人と集団の狭間で絶えず衝突しており,その場合にも,一致団結を大事にする傾向がある。そしてこのような人間関係の緊張に我慢できなくなった者は,心身症となる場合が十分あり得る。また,現代の日本人は,たとえば自己中心的というような精神的概念を否定する傾向が見られ,自己中心的なことは,現代の社会問題に対して責任を問われる。たとえば,自己中心的な母親の行動は,子供の心身発達に悪影響を及ぼすため,世間的に好ましくないと考えられている(Wikipedia, 2006b)

(引用元: 高橋佳子『ホメオパシーにみられる心理治療』アライアント国際大学カリフォルニア臨床心理学大学院修士論文 http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/psyhomeo.html 強調は引用者による。)


そもそも論文の引用元としてウィキペディアを挙げること自体が論外だと思うが、日本文化という特に主観が混入しやすく政治的立場に影響されやすいモノについて言及するのに、ウィキペディアをソースとして提示できてしまう感覚には驚かされる。それにしても、指導教員と副査はどうしてこの不適切な引用をスルーしてしまったのか。ちなみに、「(Wikipedia, 2006b)」とあることから分かるように、ウィキペディアからの引用はこの1件だけではないのだ。教員2人ともが2件の引用の両方に気がつかなかったのだろうか? それとも問題がないと判断したのだろうか? それともこの論文を読んでいないのだろうか?

*1:http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/homb16.html

*2:http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/profile.html

*3:なお、この大学については小島茂氏のウェブサイトの記事でも批判されている。確かに米国の大学の学位を示されればその人にそれなりの英語力を期待してしまうのは事実だが、高橋氏の場合は「東京サテライトキャンパス」とプロフィールに明記されているし、何語で学んだかは学位の価値には無関係だと思う。 http://degreemill.exblog.jp/10458352/

*4:Nature誌面ではイギリスの複数の大学にホメオパシー学科があり、科学の学位が授与されていることを問題視する記事が載ったことがある。 http://www.nature.com/nature/journal/v446/n7134/full/446352a.html 日本語によるまとめ: http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC%A4%CE%B3%D8%B0%CC%A4%CB%C2%D0%A4%B9%A4%EB%C8%E3%C8%BD

*5:砂糖玉の原価は安いし、微量の原物質から無尽蔵のレメディが作れるのだから、かなり儲けているのではなかろうか。ちなみにBoironは後述のホメオパシーを裏付ける"研究"を行ったことで知られるBenveniste博士に資金的支援を行っていたことが明らかにされている。Nature, Vol. 334, No. 6180. (28 July 1988), pp. 287-291.

*6:多くの論文を引用し、ある分野の研究をまとめた形式の論文。レビュー。

*7:もちろん、仕事に追われる医者より時間に余裕があるだけかもしれないし、原価の安いレメディーを与えてそれに見合わない大金を得られるので、患者の回転率を挙げなくても簡単に利益が得られるためかもしれない。

*8:意図的に騙していないにしても、結果的に砂糖玉に効果があると誤認させる倫理的に問題がある行為に貢献してしまう。

*9:そうだしても、これはホメオパシーが有効だということを意味しない。ホメオパシーでは砂糖玉に効果があると主張しているのだから。

*10:E. Davenas, et al. , Nature 333, 816 (1988).

*11:J. Maddox, J. Randi, W. W. Stewart, Nature 334, 287 (1988).

*12:S. J. Hirst, N. A. Hayes, J. Burridge, F. L. Pearce, J. C. Foreman, Nature 366, 525 (1993).

*13:ビタミンKは「人工物」だと日本ホメオパシー医学協会は述べている。http://jphma.org/About_homoe/jphma_answer_20100828.html

*14:事実、この論文の付録にある人間の場合の事例報告は「集中力が良くなり,攻撃的なところが少なくなった」というような主観的なものがほとんどだ。