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科学とニセ科学について書くブログ

アメリカ人男性から未知のタイプのY染色体発見→Y染色体アダムの年代が塗り変わる

いわゆる"Y染色体アダム"に関する興味深い論文*1が発表された。この研究結果が直接的に示したのは、Y染色体アダムはこれまでの研究の推定よりも、かなり昔の人物だっただろうということだ。それ自体は予てからこの問題に関心をもっていた人でなければ、どうということは無いように聞こえるかもしれない。私が個人的に面白いと感じたのは、むしろこの発見の経緯とこの結果が示唆する人類の起源についての興味深い仮説の方だ。

"Y染色体アダム"とは誰か

この話を本格的に始めるとなかなか本題に入れない。ここでは簡単な説明に留めることにしよう。詳細で厳密な説明は、例えばリチャード・ドーキンス著の『祖先の物語』の上巻で確認してほしい。

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上


Y染色体アダムとは、一言でいうと今生きている全人類の男性のY染色体の系譜を過去へと遡った時に最初に到達できる共通の祖先である。

従って、ちょっと考えれば分かることだが、アダムは固定された存在ではない。実は、男性で生殖可能ならあなたも将来アダムになる可能性がある。極端な例で言えば、あなたの実の息子以外のすべての人類の男性が滅んでしまったら、あなたは紛れもなくY染色体アダムとなる。逆に今まで知られていなかった"遠い親戚"の存在が明らかになれば、今までアダムだと思われていた過去の誰かは実はアダムではなかったと判明し、もっと過去の誰かをアダムと呼ばなければいけなくなる。

実は、本エントリーで紹介する論文は、まさにその"遠い親戚"が見つかったという話なのだ。

謎のY染色体は商用DNA解析サービスで見つかった

Y染色体はアダムから脈々とコピーされて現代の男性に受け継がれているが、コピーの精度は完璧ではない。したがって、生物が進化の結果としていくもの種に枝分かれしていくのと同じ図式で、ヒトのY染色体にはいくつものタイプが生じている。

最近では、商用DNA解析サービス*2を利用すれば、基本的には誰でもこのY染色体のタイプを知ることができる。しかし、カリフォルリア在住のアフリカ系アメリカ人Albert Perry氏の場合にはそうではなった。それは、彼が既知のどのタイプとも異なるY染色体をもっていたからだ*3

Perry氏のY染色体は、具体的且つ大雑把に言うと、既知のどのタイプのY染色体ともあまり似ていない非常にユニークなタイプのものだった。これは、既知のどのタイプの染色体よりも大昔に祖先のY染色体から分岐したということを意味する。模式的に表すとこんな感じ。


(枝の長さ、分岐の位置は適当。チンパンジーは本当はもっと離れている。)


こんなレアで特殊な染色体が外界から隔絶されたジャングルの奥地などではなく、カリフォルニアで発見されたことはちょっと意外だ。それも政府主導の大規模な研究プロジェクトではなく、個人がポケットマネーを投じて行う民間企業による解析によって、人類の起源という壮大なテーマに関する新事実が明らかになるとは*4

"アダム"は、現生人類ではなかった?

上図から明らかなように、Perry氏のY染色体のおかげでアダムはより古い時代へと遡った。著者らの計算によると33万8千年前*5と推定されている。これは、2011年に発表された推定値の14万2千年前*6を大幅に改定する数字だ。
この新たな推定値が興味深いのは、この年代が現生人類*7の歴史よりも古いということだ。これはちょっと妙な結果だ。私と弟の男系の共通祖先は、父であり私と同じ種に属する"人間"だ。私と従兄弟の男系の共通祖先も"人間"だ。もちろん、私とチンパンジーの男系の共通祖先が人間でないのは分かる。でも、私とPerry氏の共通祖先が、私たちと同じタイプの"人間"でないなんてことがありえるだろうか? 私もPerry氏も人間なのに。

著者らが提示する仮説は、私たちの祖先は大昔に現在は絶滅してしまった"別の人類"と交雑していたかもしれない、というものだ*8。私たちのDNAには、僅かながらも解剖学的に区別される"別の人類"のものが混ざっていて、Perry氏のY染色体が彼らに由来するとすれば、確かに新たなアダムの推定年代を矛盾なく理解することができる。

この説は確実とは言えない*9かもしれないが、それほどウソ臭くはない。まだ議論はあるにせよ、ネアンデルタール人のゲノム解析*10の結果からも、現代人の祖先と彼らとの交雑の可能性が指摘されている。

さらに、この論文の著者らは、Perry氏のY染色体の発見を受けてアフリカ人のY染色体を改めて調査し、カメルーンのある村でPerry氏と同じタイプの*11Y染色体の存在を確認している。この村から700 km離れたナイジェリアのある場所では、現生人類と古いタイプの人類の両方の特徴を持つ化石が見つかっていた*12というから傑作だ*13。ここまで来るとかなり大胆な推測と言わざるを得ないが、一人のDNAからここまでストーリーが広がるなんて、なんとも想像力をかき立てられる研究結果だ。

補足

id:u06nh氏は本エントリーのブックマークコメントで以下のように指摘している。

その図はその人がよりチンパンジーの祖先に近いって間違って捉えられかねん


なるほど、この指摘にはスターもたくさん付いているし、そうした誤解はマイナーなものとして無視することもできないと思う。きちんと説明しておこう。

結論としては、Perry氏が私たちよりチンパンジーに近いということはない。もしかすると、上の図は左ではたまたまPerry氏のY染色体を示す末端がチンパンジーのそれの隣にあっているために、そういった印象を持つ人がいたのかもしれない。しかし、系統樹上での距離、すなわち進化的距離は末端同士の距離ではなく共通祖先を経由して一方から一方へ行く際の道のりに相当する。例えば下図のオレンジの経路と緑の経路は、それぞれPerry氏のレアなY染色体とありふれたY染色体からチンパンジーのY染色体までの進化的距離を示すものだ。二つの距離に差がないことをお分かりいただけるだろう。

*1:Mendez et al., An African American Paternal Lineage Adds an Extremely Ancient Root to the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree, The American Journal of Human Genetics (2013), http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2013.02.002

*2:私は[http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20110625/p1:title=23andMe社のサービス]でY染色体のタイプがO2bであることを知った。一方、今回の発見の発端になったのはFamily Tree DNA社のものだ。

*3:http://www.newscientist.com/article/dn23240-the-father-of-all-men-is-340000-years-old.html

*4:どんな形であれ、遺伝的多様性が高いアフリカで同様の調査を行えば、さらなる発見があるのかもしれない。いずれにせよ、たった1件の事例が発見に繋がってしまうのがこの種の研究の面白いところだ。

*5:ただし、95%信頼区間は23万7千年〜58万1千年前。

*6:Am J Hum Genet. 2011 June 10; 88(6): 814–818. doi: 10.1016/j.ajhg.2011.05.002

*7:厳密に言うと"anatomically modern human fossils"

*8:この書き方は厳密ではない。ここでいう"私たちの祖先"も別の人類も、私たちの祖先なのだから。

*9:例えば、化石がまだ発掘されていないというだけで、実は現在知られているよりもずっと昔から現代人と同じ骨格を持つ人類は存在していたとすれば、古すぎるアダムを説明するために"別の人類"を持ち出す必然性はなくなる。

*10:Science 7 May 2010:Vol. 328 no. 5979 pp. 710-722 DOI: 10.1126/science.1188021

*11:厳密に言うと"似た"

*12:Harvati K, Stringer C, Grün R, Aubert M, Allsworth-Jones P, et al. (2011) The Later Stone Age Calvaria from Iwo Eleru, Nigeria: Morphology and Chronology. PLoS ONE 6(9): e24024. doi:10.1371/journal.pone.0024024

*13:素人考えながら、700 km程度の"近さ"で関連付けて大丈夫かという疑問はある。人類の起源の場所であるアフリカなら未発見のものも含めれば、そういう場所はそれなりの密度で存在するのではないか。