Not so open-minded that our brains drop out.

科学とニセ科学について書くブログ

『誤用される「プラセボ効果」』の誤用と「プラセボ効果」のそもそも論

プラセボ効果は比較的広く使われている用語だが、同時に誤用も多い。よく見かけるのは、"プラセボ効果=思い込み/自己暗示による効果"という誤解。そういう誤解を指摘しプラセボ効果を完全には解明されていない複合的な現象として整理したという意味では、誤用される「プラセボ効果」というエントリーはためになるのだが、実はこのエントリーで採用されているようなプラセボ効果の定義自体が典型的な誤用であるという主張がある。

「見かけのプラセボ効果」と「真のプラセボ効果


このエントリーでは、プラセボ効果を簡潔に以下のように定義している。

プラセボ効果またはプラシーボ効果とは、有効成分を含まない薬(偽薬・プラセボ)を摂ったことによって生じたと考えられる効果のことです*1。比較的狭い定義をするとすれば比較対照実験において統制群プラセボ群に認められた効果といったところでしょうか。

(引用元: http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081218/p1)


一方、『代替医療のトリック』(原題: Trick or Treatment?)の著者の一人としても知られるE. Ernstらは、British Medical Journalの記事で冒頭でこう述べている。

We often and wrongly equate the response seen in the placebo arm of a clinical trial with the placebo effect.
(私たちは臨床試験でプラセボ群に認められた応答をしばしば誤ってプラセボ効果と同一視している。)

(引用元: E. Ernst, K. L. Resch, BMJ 311, 551 (1995). 括弧内和文は引用者による訳 )


Ernstらはこの記事の中で、散見される誤用であり誤用されるプラセボ効果でも採用されているいわゆるプラセボ効果「見かけのプラセボ効果(Perceived placebo effect)と呼び、それと区別して「真のプラセボ効果」(True placebo effect)という用語を使っているのだ。

というわけで、見かけのプラセボ効果とは単純に「プラセボ群に見られた効果」のこと。では、真のプラセボ効果はというと、見かけのプラセボ効果から無治療群でも見られた効果を差し引いたもの。つまり、巷で言われるプラセボ効果は、偽薬(=プラセボ)を使わないでも生じる効果(=無治療群に見られた効果)まで含んでいるからよろしくない、というのがErnstらの主張らしい。確かに「プラセボ効果」なんだから、字義的に考えてプラセボを使わなくても生じる効果を含めるのはおかしい気がする。*1

そして、その真のプラセボ効果を出すために差し引かなければいけない無治療群で観察される効果の正体の例として挙げられているのは以下のような現象である。(括弧内はMochimasaによる説明であり、BMJの記事の本文中ではもっと正確かつ詳細に書かれている。):

  • 自然治癒(プラセボの投与の有無に関わらず、自然に病気は良くなることがある。)
  • 平均への回帰(症状の程度は偶然に左右される要素なので、運の悪かった人たちである症状が重い患者を集めて臨床試験を開始すると、そんな悪運はずっとは続かないので自動的に平均的な症状に近づく。これは純粋に数学的な現象である。)
  • 季節の効果(季節の変化に伴って症状は悪化したり改善したりする。)
  • 臨床試験に参加していることに起因する効果(観察の対象にされることで被験者が健康に気を使い出してしまう/ちょっとした症状の変化に敏感になってしまう。いわゆるホーソン効果。)

これらは真のプラセボ効果に含めるべきではないというのがErnstの主張だ。同時に、これらの効果はそれ以外の効果の影響がない無治療群において直接観測できるというだけで、無治療群にのみ存在する効果ということではなく、プラセボ群と治療群にも影響している効果であるということに注意する必要がある。つまり棒グラフで書くとこうなる。グラフ中の「その他の非特異的効果」(Ernstの記事中ではother non-specific effects)とは、先に列挙したような真のプラセボ効果には含まれず真の治療効果でもない効果のこと。


さて、グラフから明らかなように、真のプラセボ効果もプラセボ群にだけ存在するわけではない。治療群にも存在する。これはややこしい。

そもそもプラセボ効果という概念自体が適切ではないという主張

自然治癒や平均への回帰による効果はプラセボ群以外にも存在するから、真のプラセボ効果に含めるべきではないというのは納得が行く。しかし、プラセボ効果だってプラセボ群のみならず治療群にも存在する。だからこそプラセボ群を設定して治療群と比較し、治療群にプラセボ群以上の効果があることを示して新薬の有効性を立証する必要が出てくるわけだ。では何をプラセボ効果と呼べばいいのか。結局のところ、Ernstの真のプラセボ効果の定義に従うとしても、よりザックリと見かけのプラセボ効果プラセボ効果と呼んでしまうにしてもすっきりしない。

実は、「プラセボ効果」という概念自体が不適切であるという主張がある。Daniel E. Moermanらは"Deconstructing the Placebo Effect and Finding the Meaning Response"(プラセボ効果の解体と意味応答の発見)と題した記事*2で既存のプラセボ効果の概念は実はプラセボ自体とは無関係な要素を含んでいることが混乱の元凶であるとして、意味応答(meaning response)という概念を導入した。


Moermanはまず、プラセボ効果という用語自体が論理的に矛盾していることを指摘した。ある文献のある部分では「プラセボとは、治療しようとしている症状に対し、客観的に見て特異的な作用を及ぼさない物質、あるいは方法である。」と書かれている一方で、同じ文献の別の部分には「プラセボ効果とはプラセボによって引き起こされる治療効果である。」と書かれているという。この二つの文を統合すると、「プラセボ効果とは、治療しようとしている症状に対し、客観的に見て特異的な作用を及ぼさない物質によって引き起こされる効果である。」という意味不明の文になってしまう、というわけだ。これではプラセボに効果があるのかないのかないのか分からないし、プラセボ効果は効果を及ぼさないはずの物質によって引き起こされる効果ということになってしまう。確かに矛盾している。


さらに、Moermanは興味深い実験*3を紹介している。その実験では頭痛薬を常用している835人の女性をランダムに4つのグループに分け、それぞれのグループに以下のような"薬"を与えた。

  • A: 有名ブランドの名前が書かれたアスピリン
  • B: 何も書かれていないアスピリン
  • C: 有名ブランドの名前が書かれたプラセボ
  • D: 何も書かれていないプラセボ


この実験では、被験者の頭痛の改善の割合はA>B>C>Dとなった。プラセボ群であるCとDに認められた効果は見かけのプラセボ効果と呼ばれるべきだが、両者の効果の大きさは同じではない。同時に、同じネームブランドによる差がプラセボではない正真正銘アスピリンを与えられたグループ(AとB)にも認められることから、このブランドによる効果が現れるためにはプラセボかどうかは実は関係ないことが分かる。

他にもプラセボの色や数がプラセボ効果の方向性や大きさに影響することが実験的に分かっているという*4 *5 *6

つまり、これまでプラセボ効果と呼ばれて来た現象は実は必ずしも与えられた薬がプラセボであることとは関係ない。むしろこのような現象は、"薬"のもつブランドや色、数などの「意味」(meaning)に対して起こっている応答だというのがMoermanらの主張であり、これらの現象はプラセボ効果ではなくて「意味応答」と呼ぶのが適切だというのだ。

まとめと雑感

プラセボ効果とはプラセボ群に見られる効果とイコールではなく、それから無治療群に見られる非特異的効果を差し引かないと真のプラセボ効果は出てこない。しかし、同時に真のプラセボ効果であっても、本当の意味でその効果がプラセボによって引き起こされているわけではなく、プラセボ効果という概念自体が矛盾をはらんでいる。「意味応答」はこのゴタゴタを解決するには便利な概念かもしれない*7。また、Moermanはプラセボという倫理的に問題がある手段に頼らなくても、医師の振る舞いや言葉によって同種の効果を得られることを指摘した。この発想がすんなり理解できるのは、プラセボ効果の代わりに意味応答という概念を導入したことの効用だと思う。

*1:ただし、見かけのプラセボ効果が世間で(専門家の間でさえ)「プラセボ効果」として通用してしまっているのだとしたら、一般に言葉の意味が流動的であることを考慮にいれれば、単純に間違いとはいい切れないのも事実。

*2:D. E. Moerman, W. B. Jonas, Annals of Internal Medicine 136, 471 (2002).

*3:A. Branthwaite, P. Cooper, Br Med J (Clin Res Ed) 282, 1576 (1981).

*4:K. Schapira, H. A. McClelland, N. R. Griffiths, D. J. Newell, British medical journal 1, 446 (1970).

*5:A. J. M. de Craen, P. J. Roos, A. L. de Vries, J. Kleijnen, BMJ 313, 1624 (1996).

*6:D. E. Moerman, Medical anthropology quarterly 14, 51 (2000).

*7:もっとも、この用語はプラセボ効果と比べて知名度が(少なくとも非専門家の間ではずっと)低いので、現時点でプラセボ効果という言葉を捨て去ることはできそうもない。