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Not so open-minded that our brains drop out.

科学とニセ科学について書くブログ

『カルト資本主義』なる本のダメなところ。『ドラえもん』はオカルト?

カルト資本主義』という本がある。ざっくり言えば、オカルトに傾倒している様々な企業等を批判した内容だ。本書のいう「カルト資本主義」とは、そうした組織がカルト的全体主義によって個人を思考停止に陥らせていることを指しているようだ。

カルト資本主義 (文春文庫)

カルト資本主義 (文春文庫)

カルト資本主義―オカルトが支配する日本の企業社会

カルト資本主義―オカルトが支配する日本の企業社会


単行本の出版は1997年*1だから、かれこれ17年も前の本ということになる。それでも、JALの再建で辣腕を奮った稲盛和夫氏の思想、鳩山由紀夫首相夫妻、そして今でも問題になっているEMと、出版後に"大活躍"した人や物が批判の対象になっていて、古臭さを感じさせない*2。加えて、ジャーナリストである著者・斎藤貴男氏が直接取材した内容がふんだんに盛り込まれていて資料としての価値は決して低くはないし、事実現在でもしばしば引用・言及される。

一方で、本書の内容のうち、主に著者による考察・分析の部分には、首を傾げざるを得ない部分がある。本エントリーでは、『カルト資本主義』のそうした負の側面を批判する。

「愚民教育」

そもそもこの本を再読したきっかけは、ゆとり教育を愚民教育とした左巻健男氏の記事*3だ。左巻氏は、本書のTOSSによるEM教育に関する記述を引用して、「“愚民教育”は、この20年余続いてきた「ゆとり」教育の“隠された”目標でもあった。」と陰謀論になりかねないことを主張している*4
左巻氏が引用した本書の記述は、以下の内容だ。

EMを超能力だと教える向山のやり方の本質を表現するのに、多くの言葉は必要ないと思った。わずか一言で事足りる。愚民教育。

(斎藤貴男カルト資本主義』(文春文庫)247ページ)


では、本書の著者は、何を根拠に愚民教育という語を使ったのか。実は、この引用は、文の途中から切り取られたもので、引用部分の頭には「さまざまな取材を重ねた後にこの記述に出会った私は、」という主部がついている。ここでいう「この記述」とは、その直前に引用されている『「教育技術の法則化運動」症候群』という本の斉藤茂男氏による記述だ。

そこで、この引用はどんな内容かというと、

この運動にいま熱烈ラブコールを送っているのは、文部省である。学習指導要領の改訂とも絡んで、文部省はこの運動が現場で支持され、広がってくれることを期待すると明言している。新種とはいえ民間教育運動の流れのなかに生まれた運動であるはずなのに、官の側がそれに寄りそってくるのはなぜなのか。

(ひと編集委員会編「教育技術の法則化運動」症候群(シンドローム) 11ページ)


原典をあたったところ、この引用も不完全で、原文では文頭に「番組のなかでも紹介したが、」とある。この記述は斉藤茂男氏が担当したあるテレビ番組の取材に基づくものなのだ。しかし、その取材で、文部省の誰が何といったのかは一切書かれていない*5。ここで、仮に文科省が当時明確な方針としてTOSSを支持していたとして、それをもって「EMを超能力だと教える向山のやり方」を愚民教育と呼べるのだろうか。そのような見方は、以下のような論点から成立しないと思われる。

第一に、文部省が支持していたとされるのは、TOSSであってEMではない*6。第二に、文部省がEMを支持していたとしても、それが愚民教育であるとまでは言えない。愚民教育という語は、単なる駄目な教育という以上のニュアンス、具体的には意図的に愚かな国民を作ってやろうという悪意ある政策を思わせる言葉だからだ。事実、左巻氏もゆとり教育が愚民教育であるとする文脈で「“隠された”目標」という表現を使っていることから、そう捉えたのだろう。そうだとすると、文部省がEMが人を「愚民」にする教育だと認知していながら、敢えてそれを実行したとする証拠が必要だ。そういう証拠は少なくとも本書では示されていない。

要するに、この論は、微妙にずれた論拠にならない文献に立脚していて、十分な証拠に基づいているとは言えない。

さらにややこしいことに、左巻氏は、EMやTOSSのみならず、ゆとり教育という大きな括りで「愚民教育」なる語を使っている。本書以上に説明を要する主張と思われるが、今後の左巻氏のこの件に関する説明に期待したい。

ドラえもん』批判

著者は当時のアニメはオカルト色が強いとした上で、こうしたアニメがカルト資本主義者の恰好のツールになると指摘する。

美少女戦士セーラームーン』『新世紀エヴァンゲリオン』など、ここ数年の子供向けの人気アニメ作品にはオカルトの色彩が濃いとはかねて指摘されてきた通りだが、最近は『ドラえもん』までおかしな方向に向かっている。九七年春に公開された映画『のび太のねじ巻き都市冒険記』には、惑星の環境を汚す人間を"神様"が懲らしめるという筋書きが盛り込まれていた。幼稚園児の長女にせがまれるままに観覧したものの、カルトに通じるディープ・エコロジーに近い内容には、背筋が寒くなった。子供に地球環境の大切さを訴えるのに、なぜ、得体の知れない"神様"の手など借りる必要があるのか。
ドラえもん』ほど幅広い世代に支持される物語は他にない。自分がカルト資本主義者なら、これほど使えるツールはないと発想するに違いないと思った。

(斎藤貴男カルト資本主義』(文春文庫)447ページ)


劇場版アニメの『ドラえもん』が槍玉に挙げられているが、私は実際にその内容をDVDで確認した。


偶然、ある緑の惑星を手に入れたのび太たちは、そこに街を建設し、自分たちの"ぬいぐるみ"にひみつ道具で命を吹き込んでその星の住民とする。ぬいぐるみたちは、始め動物なみの知能しか持たなかったが、あることをきっかけにして人間並みの知性を獲得する。そして彼らは、ジャイアンを説得して道路建設計画を中止させるまでに成熟した民主的社会を構築するに至る。

確かにこの映画には"種をまく者"という存在が登場し、のび太たちを脅かして追い払おうとする場面がある*7。"種をまく者"はかつて自分が生命の種を巻いた地球が環境破壊で危機に瀕しているために、のび太たち人間がその惑星まで駄目にしてしまうことを憂いていたのだ。しかし、最終的には"種をまく者"はこれ以上の関与は不要と悟り、その惑星を去っていく。"種をまく者"がそう判断したのは、この"ぬいぐるみ"たちならこの星を守っていけると理解したためだ。

この物語は確かにエコロジーの思想に基づくものだが、その理想が自立した精神によって達成されるプロセスを描いた作品でもある。これは、企業の全体主義的カルト思想によって個人が思考停止に陥るという"カルト資本主義"とは対極にある思想と言えよう。『ドラえもん』に関する著者の批評は、180度近くずれているように思う*8

もちろん、現実の生命が"種をまく者"のような存在によって撒かれたという証拠はない*9。また、窮地に陥ったのび太を植物が助けるという場面があるが、言うまでもなく植物にそんな能力はない。その意味では、この映画を全くの事実として子供に教え込めば、事実を誤認させる危険な「ツール」になるのかもしれない。だが、それはフィクション作品全般に言えることだ。セーラームーンエヴァンゲリオンもこれは同じで、それは悪用する人が悪いのであって、作品そのものを批判するのはお門違いというものではないか。


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(元ネタ: http://www2.atwiki.jp/housewife57/pages/5.html )

カルト資本主義』という本の陰謀論的傾向

冒頭で述べたように、本書には読む価値がある。しかし、価値があるのは、主に著者による取材の成果を中心とするファクトであって、著者の分析・考察・意見はそうではない。正確に言うと、後者にも頷ける部分は多々あるのだが、いかんせんノイズが気になる。ノイズがノイズとはっきり分かればまだいいのだが、著者の巧みな文体のためか、妙な説得力があって、上記のように具に検証しないとなかなかそれに気づくことができないから厄介だ。

著者は、ジャーナリストとして企業や政府を批判することに使命感をお持ちのようだ。*10。しかし、この至極真っ当な考えが空回りしているのか、どうも強力なバイアスが働いているように思われる。例えば、EMに関する章の「創価学会人脈」という項では、「創価学会のEMへの肩入れ」という踏み込んだ表現まで登場するが、よくよく読んでみるとEMの推進に関わった公明党創価学会の関係者が何人かいるというだけで、教団組織としての関与について裏付けはないことが分かる。EMの開発者である比嘉氏の父親の葬儀に池田大作氏から樒が送られていたという「関係者」の証言などいかにも(悪い意味で)週刊誌的だ。

また、丸山ワクチン*11に関して以下のような言及の仕方をしている。

偉大な発明や発見は、それによって既得権益を侵される旧体制の迫害を受ける、とは世直しを唱える人々がしばしば口にする嘆きである。丸山ワクチンの顛末は、確かにその通りの現実を示していたかもしれない。だが、EM現象やそれをめぐる論争や対立を、同じ構図で単純に理解してしまっては、本質を見誤る。

(斎藤貴男カルト資本主義』(文春文庫)250ページ)


「かもしれない」とのことだが、EMに関してあれだけ執念深く調査・取材をしている著者が、この程度の認識で丸山ワクチンに言及したのは不用意と言う他ない。

*1:一部加筆修正され文庫版が2000年に出版されている

*2:度々言及されるオウム真理教のことは、当時の世相を思い起こさせるものではあるが。

*3:今は削除されてしまったが、この問題はid:ublftbo氏によって整理されている。http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20140104/p1

*4:記事は削除されたが、「一般の人に説明が難しい問題です。」とし、左巻氏自身の間違いではなく読者の理解を問題にするスタンスのようなので、主張は取り下げられていないはずだ。

*5:この番組『教育は変わるか(3) "教え方"教えます~教育技術改革運動のゆくえ~』は、NHKアーカイブスの公開対象にも入っていない。

*6:TOSSを支持するとEMも付いてくるのだから、同じではないかという人もいるかもしれないが、第二の論点との関連から文部省がEMを意識していたかどうかは重要な問題であって、両者の混同は無視しがたい。

*7:追い払うのが目的なので、懲らしめるというのは少し違う気がする。

*8:ドラえもん』は子供向けアニメなので、非常に分かりやすくそれが描かれている。これが読み取れていないとすれば私は斎藤氏の見識を疑わずにはいられない。それとも最後まで見ずに批判したのだろうか。

*9:いわゆる"意図的なパンスペルミア説"。検証不能な未科学ではあるが、フランシス・クリックは真面目に検討しているようだ。http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20040802

*10:斎藤貴男カルト資本主義』(文春文庫)446ページ

*11:http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20091214

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