STAP細胞の査読の件、早合点は禁物
STAP細胞の報道では、その研究の経緯にも焦点が当てられている。例えば、産経新聞には、STAP細胞の作製者である理研の小保方氏がNature誌に論文を投稿した際のエピソードが紹介されている。
これほど常識破りだったため、昨年春、世界的に権威ある英科学誌ネイチャーに投稿した際は、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評され、掲載を却下された」。
(引用元: http://sankei.jp.msn.com/science/news/140129/scn14012921250003-n1.htm 強調は引用者による。)
この査読者の酷評も含め、今回の発見が認められるまでの経緯に関しては、ウェブ上でもさまざまな見解が述べられている。本エントリーでは、それらの見解のうち、早合点と思しきものを指摘する。
現時点で、査読者を非難するのは適当か?
id:snowy_moon氏は、査読者のコメントに関して、以下のような見解を示している。
その科学を科学たらしめている現代における最高峰の審査の場で「歴史を愚弄している」などという感情的な言葉で応答することは、科学に対する敬意や謙虚さを見失った、それこそ科学の歴史を愚弄した態度ではないでしょうか。
(引用元: http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2014/02/04/202339 )
なるほど。確かに愚弄という言葉は、科学の現場には不相応な言葉というのは一理ある*1。査読者も人間なのでこうした表現を使ってしまうこともないとは言い切れない。しかし、本当に「愚弄」という言葉が使われていたのだろうか。私は、以下のような理由から、これが そのまま議論の前提として受け入れられるほど確実なものとは思えない。
第一に、小保方氏が記者会見でとっさに日本語で語った内容が、原文のニュアンスをそこまで正確に反映しているとは限らないことだ。「翻訳」と「伝聞」が組み合わされれば、元々の意味が正確に伝わらなかったとしても無理はない。例えば、「愚弄」ではなくて「軽視」とも訳せるような単語だとしたら、印象はだいぶ変わってくる*2。
第二に、当事者の一方からリークされた内容を額面通りに受け取るのは危険だということだ。査読は査読者と著者の意見のぶつかり合いであり、通常非公開である*3。それを小保方氏の発言だけに頼って査読者を非難するのは公平なことと言えるだろうか。裁判を傍聴していない人が原告の意見だけ聞いて、被告を非難するのと同程度には危うい議論と言えるだろう。
「愚弄」という言葉を額面通りに受け取れない理由はまだある。冒頭の引用にある小保方氏の発言には続きがあるのだ。
――ネイチャー誌の査読者の反応は。
「たいへん厳しくて、あなたは過去何百年にわたる細胞生物学を愚弄(ぐろう)しているという返事をもらった。確証を示すための具体的な実験系の要求は、たいへん多かった」
(引用 : http://www.asahi.com/articles/ASG1Z0PGCG1YPLBJ00W.html)
査読者が、STAP細胞の研究を完全に文字通りの意味で「愚弄」と捉えらえ、取るに足らないものだと見なしていたかというとそうでもなさそうだ。査読において実験を要求するということは、追加実験によって主張が裏付けられれば、その論文の掲載を認めるという意見表明でもあるからだ。
とはいえ、以上のような私の見解も推測に依るところが多く、絶対に査読者は「愚弄」という言葉を使っていないなどと断言するつもりは毛頭ない。査読者を非難するには証拠がまだ足りないというのが私の意見だ。
証拠が足りないと言えば、もう一つ重要な観点がある。それは上記の査読の時点での実験データはどれくらい揃っていたのかということだ*4。真実のいかんに関わらず、十分な証拠の裏付けなしに簡単な刺激だけで多能性細胞が生じるという過激な主張がなされた場合、著者の不用意さが批判の対象になることは当然ありうる。その場合には*5、歴史的な証拠の積み重ねを強固な強調し、それを覆すだけの決定的な証拠を求める厳しいコメントが出てくるのはむしろ正当なことと思われる。
以上を踏まえ、少なくとも現時点では私は査読者を責めることはできない。
ニセ科学界隈が騒ぎ出している??
id:NOV1975氏は、STAP細胞の報道を受けて「ニセ科学界隈が騒ぎ出している模様」と題するエントリーを書いてこう主張する。
「どんなアイデアも全部ありえない事と前例主義で潰していくニセ科学批判派」
小保方さんはアイディアを不十分なエビデンスとともに提示したところ、ありえないとして認められませんでした。前例主義ではなくエビデンスが主張を証明するに足るものではなかったからです。
小保方さんは、科学の前例主義が自分を拒んでいるという考えを抱かず、科学の方法が自分の考えを証明してくれることを信じて愚直にエビデンスを積み上げていった結果、今回、十分に信頼するに足ると認められました。ニセ科学と呼ばれている人々が決してやらないエビデンスの積み上げをです。
一緒にしては失礼です。
(引用 : http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/01/31/141059)
なるほど。その通り。実際、STAP細胞の作製は、隙のない綿密な証拠によって裏付けられている。それを今回の論文が「前例主義のようなもので危うく認められなかった」という切り取り方をしてしまうと、STAP細胞がニセ科学信奉者たちの主張の正当化に悪用されてしまうというわけだ。
しかし、NOV1975氏の致命的な失敗は一行目の一文に集約されている。
ちょっと具体的な発言を見つけられなかったんですが、もっともらしい話なので警告的に書いておきます。
(引用 : http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/01/31/141059 )
そう。エビデンスの積み重ねの重要性をあそこまで強調していたNOV1975氏自身が、証拠もなしにニセ科学信奉者を批判していたのだ。この記事を「ニセ科学界隈が騒ぎ出している模様」と題しておきながら、これはないだろう。実を言うと、私は、ニセ科学信奉者がニセ科学とSTAP細胞を重ねて前者を擁護している例を一つ知っている*6。しかし、事後的に証拠が見つかったからという理由で、あるいは他人が証拠を見つけているという理由で、証拠もなしにこうしたタイトルの記事を書いて誰かを批判する行為が正当化されるわけではない。
よくニセ科学では「いつか証明される」ということを根拠とすることがありますが、証明されてからじゃないとこういった発表が公式になされないというのが科学というものです。
(引用 : http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/01/31/141059 )
NOV1975氏は脳内ニセ科学批判者に証拠を要求する前に、まず自分自身が証拠を探すべきだったのだ。ニセ科学信奉者もNOV1975氏も順序を間違えてはいけない。